大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和47年(ヨ)4041号 決定 1972年9月27日

債権者 赤松春子 外七名

債務者 前田利昌 外一名

主文

債権者赤松春子、同近藤実、同近藤武が債務者らのために七日以内に共同で金三〇〇万円の保証をたてることを条件として、債務者らは右債権者らに対し東京都板橋区常盤台二丁目九番三宅地三二六・六四平方メートルおよび同所九番四宅地一〇八・四二平方メートルの土地上に建築中の鉄筋コンクリート五階建建物のうち別紙添付第一図面斜線部分の建築工事をしてはならない。

その余の債権者らの申請を却下する。

理由

第一わが国において人がその居住する土地建物において日照通風等自然の恩恵にあずかることは、わが国の風土や生活様式に照らし、健康維持や快適な生活環境の確保のために必要不可欠な生活利益であつて、この利益の享受は法的保護の対象たりうるものであると解すべく、この利益が第三者から侵害された場合には、その侵害の内容(程度、目的、害意等)、地域環境、先住関係、当事者双方の利害、その他諸般の事情を比較衡量し、被害者の被る被害の程度が、社会生活上一般に受忍すべき限度を超え、単なる損害賠償等の金銭補償をもつてしては救済できない段階に達していると認められる場合に限り、被害者は加害者に対してその侵害の排除、差止めを求めることができると解する。

第二そこで次に債務者らが建築しようとしている建物の完成によつて債権者にもたらされる日照、通風等の被害の程度が債権者らの受忍の限度を超えているか否かについて判断する。

一  本件疎明資料によると次の事実が一応認められる。

1  債権者らの居住する土地建物と債務者前田利昌所有の主文掲記の土地(以下本件土地という)との位置関係は別紙第二土地建物配置図記載のとおりであるが、本件土地および債権者近藤武、同赤松春子、同佐々木トシコ、同韓徳銖の各所有地は東武東上線常盤台駅から徒歩約五分位のところに位置しており、用途上は住居地域、防火上は準防火地域であり、かつ第三種容積地区に指定されている。

そして債権者佐々木、同韓所有地の東側(常盤台駅前通りに面している部分)は小売店舗地区に指定されていて各種店舗がたち並んでいるが、一方本件土地と前記債権者近藤所有地に面する道路(巾員約八メートル)を隔てた西側一帯(債権者信孝、同平出弘治の所有地を含む)および前記債権者近藤、同赤松、同佐々木の所有地に面する道路(巾員約八メートル)の北側一帯はともに住居専用地域(高度制限一〇メートル)に指定されており、同地域には高層建築物はなく、一戸建、二階建以下で門構えのある建物が殆どである。(もつとも前記常盤台駅前付近には高層建築物が存在するが、同所は商業地域に指定されている。)

また前記債権者近藤、同赤松、同佐々木の所有地の北側に面する道路の中央には緑地帯(樹木が並んでいる)もあり、本件土地およびその周辺の地域は駅の近くにありながら比較的閑静な住宅街を形成している。

2  債権者近藤武(その居住する土地建物の所有者)、同近藤実(その家族)は昭和一三年九月頃から、同赤松春子(その居住する土地建物の所有者)は昭和一一年八月頃から、同佐々木トシコ(その居住する土地建物の所有者)、同小沢健志(その同居者)は昭和四二年二月頃から、同韓徳銖(その居住する土地建物の所有者)は昭和三四年頃から、同平出弘治(その居住する土地建物の所有者)は昭和二九年頃から、債権者浜野信孝(土地所有者)は昭和三七年頃からそれぞれ前記別紙第二土地建物配置図記載の土地建物(債権者らの建物は債権者平出の居住建物が平家建であるほかはいずれも二階建である)に居住しており、今日まで十分な日照通風等の自然の恵みを享受して生活してきた。

3  債務者前田は昭和三八年以降本件土地を所有してその上に木造二階建建物を所有して居住していたが、昭和四六年本件土地(合計四四〇・九二平方メートル)上に

(一) 鉄筋コンクリート防水モルタル葺五階建(一階は貨店舗、二階ないし四階はいわゆる賃貸マンシヨン、五階は債務者前田自身の居宅。)

(二) 建築面積二七六・七八平方メートル(建ぺい率六三パーセント、住居地域における建ぺい率の制限は六〇パーセントであるが、準防火地域に指定されている本件土地については昭和四六年一月二二日の東京都告示によつて建ぺい率の制限が緩和されており、いわゆる違法建築ではない。)

(三) 延べ面積一一九六・七七平方メートル(容積率二七二パーセント、住居地域における容積率の制限は三〇〇パーセント。)

(四) 建物の高さ一四・六〇メートル(ただし屋上にエレベーター等の機械室として設置される塔屋の高さは一九・八〇メートル。)

の規模の建物(以下本件建物という)を建てることを計画し、昭和四六年一二月七日建築基準法所定の建築確認を受けたうえ、昭和四七年五月五日債務者松田工務店に本件建物の建築工事を請負せた。

ところが、債権者らを含む本件土地周辺の住民ら多数が「前田マンシヨン反対期成同盟」を結成し、本件建物の建築に強く反対したため、債務者前田は同年五月二日本件債権者らを相手方として豊島簡易裁判所に建築妨害禁止等の調停申立をしたほか数回にわたつて債権者を含む前記住民らとの間で話合いを続け、その結果(一)当初の設計では本件建物北側部分と隣地(債権者近藤、同赤松所有地)の境界線との間隔が最も短い部分で僅か二五センチメートルしかなかつたのを設計を変更することにより、右の建物北側部分と境界線との間隔を約二・九メートルないし三・三メートルに広げる、(2) 本件建物五階部分の北側を約一・八メートル(一間)削り、本件建物北側部分を一部四階建とする旨申入れたが右住民らから拒否されてしまつた。

その後債務者らは本件の審尋の過程で債権者らの了承を得て右(一)記載の位置(本件建物の位置を南に移動することは敷地との関係で不可能である)において基礎工事のみを行なつている。

4  ところで本件建物が現在基礎工事をしている位置において設計どおりに完成すると、債権者らは冬至においてそれぞれ次のような日照阻害を受ける。(建物平面のほぼ半分が日影になつた時を基準として算定)

(一) 債権者近藤武、同近藤実午前九時三〇分頃から午後一時頃まで。

(二) 同赤松春子、午後零時過ぎ頃から同三時三〇分頃まで。

(三) 同佐々木トシ子、同小沢健志午後一時三〇分過ぎ頃から日没時(同四時二九分)まで。

(四) 同韓徳銖、午後二時三〇分過ぎ頃から日没時まで。

(五) 同平出弘治、日の出時(午前六時四三分)から同八時頃まで。

(六) 同浜野信孝、午前七時三〇分頃から同九時三〇分過ぎ頃まで。

また債権者近藤武、同近藤実、同赤松は、その居宅の南側に五階建(高さ約一四・六メートル)の本件建物が垂直にそそり立ち(前記(三)の(2) 記載の債務者前田の譲歩案でも本件建物北側部分の高さは約一一・七メートル)強い圧迫感を受けるほか採光にも重大な支障をきたし、加えて本件建物北面には六個のベランダが設けられているため本件建物居住者からのぞき見されるおそれがある。(なお債権者近藤武、同近藤実、同赤松はいずれも居住建物南側に約五メートルの空地があるため日照および採光阻害等の被害は右の程度にとどまつているのであつて、もし右債権者らがその居住建物を本件建物のように許容限度近くまで建築しておれば被害の程度はさらに増大することになる。)

5  東京都は昭和四五年六月に建築基準法が改正されたことに伴い、昭和四八年末までに新たに用途地域の指定を行なうこととなり(指定にあたつては特に住環境の保護を主眼として土地利用の純化を図ることになつている)、板橋区においても作業が進められ、昭和四七年八月一五日に区の改正試案が発表されたが、それによると本件土地および債権者近藤武、同赤松、同佐々木、同韓の所有地は第二種住居専用地域、第二種高度地区、容積許容限度二〇〇パーセント、建ぺい率許容限度六〇パーセントとなつており、その西側一帯(債権者平出、同浜野所有地を含む)、および北側一帯は第一種住居専用地域、第一種高度地区、容積率許容限度六〇パーセント、建ぺい率許容限度三〇パーセントとなつており、最終的には東京都は右試案の内容のとおりに指定する可能性が大である。

二  以上認定した事実によると、

1  本件建物が完成すると債権者近藤武、同近藤実、同赤松はこれまで三五年間以上にわたり享受してきた日照、通風等の自然の恵みを一挙に奪われ、前記のようにかなり長時間にわたつて日照を阻害されるほか、採光にも重大な支障をきたし、本件建物から受ける圧迫感も強く、さらにのぞき見される危険も生ずるなど、極めて劣悪な環境のもとでの生活を余儀なくされることになり、肉体的、精神的に深刻な打撃を受けるばかりか、その所有土地の地価もかなり低落し経済的にも打撃を受けることが予想される。そして右の事実のほか債務者前田は自己の住居を確保するという目的はあるものの主に営利を目的としていわゆる貸店舗、賃貸マンシヨン用ビルを建築しようとしているものであること、本件土地およびその周辺地域(前記小売店地区を除く)は比較的閑静な住宅街を形成していて高層建築物もなく、しかも近い将来(遅くも昭和四八年末まで)第二種住居専用地域に指定される可能性が大きく、その指定後は本件土地上には本件建物のような容積率二七二パーセントもの建物を建てることは許されないことになること等の諸事情を考慮すれば、(一)債務者前田において特に債権者らを害する意図のもとに本件建物を建築しようとしているものではないこと、(二)本件建物は建ぺい率、容積率ともに許容限度にかなり近いものながら建築基準法の規定にかない適法なものであること等債務者前田の側の事情を斟酌しても、債権者近藤武、同近藤実、同赤松についてはその受ける被害の程度は前記したいわゆる受忍の限度を超えていると認めるのが相当である。

しかして右債権者近藤武、同近藤実、同赤松のために最低限度必要と認められる日照、採光等の確保、圧迫感の除去のためには少くとも主文に掲記した程度の設計の変更が必要であると解する(右のように設計を変更すると、本件建物の北側部分は四、五階部分が削られて三階建(高さ約八・八メートル)となるため、同債権者らは当初予想された日照阻害の程度がかなり減少し、また圧迫感からの解放も相当期待できると思われる)。そして本件建物が当初の設計どおりに完成してしまえば後日その一部を除去することは著しく困難であることが明らかであるから保全の必要性も認められる。

そうすると債権者近藤武、同近藤実、同赤松の本件申請は主文掲記の限度で理由がある。

2  その余の債権者らについては、本件建物建築により同債権者らにもたらされる日照、通風等の被害の程度は未だ債務者らに対し建築の禁止を命じなければならない程甚しいとは認められない。

そうすると同債権者らについては、同人らがその主張のような建築禁止を求める権利を有することについてこれを認めるに足りる疎明がないことに帰し、事案の性質上右疎明の欠缺を保証をもつてかえることは相当でないから同債権者らの本件申請は理由がない。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判官 鈴木勝利)

別紙一<省略>

別紙二<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例